1963年創業からの歩み(沿革)
1963年、城取一級建築事務所は長野県伊那市青木町に誕生しました。創業当初は所長の城取義直本人と3人の所員の計4名でのスタートでした。
1971年に株式会社化した城取建築設計事務所が成長期を迎える昭和40年代後半から60年代にかけては、地方自治体の建築コンペが盛んに行われる時期でした。南信を中心に今の金額で数億円規模の大型公共建築物のほとんどを勝ち取るほどに成長し、長野県全域のみでなく、山梨・群馬などでも仕事を手掛けるようになりました。
1980年代には、小中学校や役場など、地域の人々の生活拠点となる建築も多く手掛けています。また、この頃は長野県が受注金額ランクを発表し新聞等に掲載されていたのですが、当時長野県内1,000社の中で、当事務所が昭和59、61、62年の3年程は第一位となりました。
社会背景を受け、医療施設や福祉施設の建築を多く手掛けるようになりました。安全や防災防犯に関してもより厳密に設計しなくてはならないこのような案件を任せていただけたことは、それまでに築いてきた地域の建築関係者様との深い結びつき・信頼関係に寄るものであったと考えています。
1995年の阪神・淡路大震災の影響、耐震偽装事件などもあり、耐震に対する人々の意識が高まった、この時期、専門的な知識のある有資格者による耐震診断を開始。耐震に加え環境に配慮したエコロジーな建物への需要が高まり、時代に併せた高度な設計建築にも多く携わりました。
私たちの建築設計事務所にとって革新と挑戦の連続でした。「人が集まり、地域とつながる設計事務所をつくりたい」という思いから、2015年には現在の伊那市中心部に移転させました。そして1階には英語で「むすぶ、つなぐ」を意味する気軽に相談できる設計事務所を考え、1Fにカフェを併設しました。
「ベンチャーの革新」と「老舗の伝統」を融合させることをテーマに、時代に即した空間づくりを目指しています。新しい発想や最新技術を取り入れるベンチャーマインドと、長年培われた経験や信頼を大切にする老舗の価値観を掛け合わせることで、他にはない独自のデザインを生み出しています。

創業者メッセージ
中央アルプスと南アルプスに囲まれ、その中央を天竜川がとうとうと流れる、「山紫水明の地」長野県伊那市に建築設計事務所を開設して以来、30年という永い月日が流れました。
今振り返ってみますと高度成長期の真っ只中に産声をあげた当建築設計事務所が、オイルショック、円高不況等の厳しい荒波を乗り越え、今日の発展を成し遂げる事ができましたのも、偏に絶え間ざるご指導、ご協力いただいた多くの皆様のおかげと深く感謝申し上げる次第です。
私たちの創作分野は、教育施設、医療施設、福祉厚生施設、研究施設、オフィス、工場等多岐にわたっております。多くのクライアントの皆様と話しをさせていただくなか、それぞれの専門的な知識や情報を吸収し、私たちなりに調査研究をし、これに対応する知識・技術を育て、城取建築設計事務所独自のノウハウを蓄積してまいりました。近年、限りない情報化の進展に伴い機能性の高い建築物が求められるなか、いよいよその力を発揮できる時であると感じています。
また、営業範囲は地元長野県内にとどまらず、近隣各県に拡がってまいりました。それぞれの地域の特性を生かし、自然や景観と調和を考え、「建築物を通じて、地域のよりよい文化を創造していく」という建築設計事務所の社会的使命をしっかりと認識した上で人間の「希望と理想」を表現していきたいと考えています。
都市も自然も絶え間なく流れ、変化を重ねているという事実のなかで、「周囲の環境を尊重し、心豊かな建築をどう具象するか」をテーマに、常に最先端の技術を保持し、多様化するニーズにお応え出来るよう、これを機会にスタッフ一同気持ちを新たにし、精進・邁進する覚悟であります。
創立30周年をむかえ、このご挨拶を綴っていると、公私ともにご指導を賜った数多くの方々のお顔が走馬灯のように浮かび、そしてご教授いただいた言葉が次から次へと思い出されます。
そんな方々を想う時、私自身が人生の教訓として好んで使います、室町時代に能楽を完成させたといわれている世阿弥元清が、その弟子達に常に戒め送った言葉「初心忘れるべからず」を改めて肝に銘じ、新たな一歩を踏み出して行く所存でありますので、今後一層のご厚情を切にお願い申し上げる次第であります。

城取義直 経暦
昭和6年 | 4月26日長野県生まれ |
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昭和29年 | 武蔵工業大学建築学科卒業 蔵田周忠建築研究所に入所 |
昭和30年 | 長野県庁に勤務 |
昭和38年 | 城取一級建築士事務所 創設 |
昭和46年 | 株式会社城取建築設計事務所 代表取締役社長に就任 |
平成17年 | 8月31日 伊那中央病院で死去。享年74才。 (社)新日本建築家協会 関東甲信越支部 長野県クラブ副代表 |
城取建築設計事務所の歴史
当時は構造計画をもって施工する会社が少なかったこともあり、全国規模での設計建築に取り組んでいました。当時としては斬新な構造設計などを買われ、主として官庁関係の仕事に着手しました。先代が手がけた設計建築は、業種を問わず多くの実績を残しています。
先代は常に情報の収集に尽力を費やし、技術革新という信念を貫いた方です。技術向上のためには職人にも惜しみなく学ばせ、また自らの技術を伝授し、先代が先駆者となり会社を技術革新へと導いていきました。こういった、「職人を大事にする」という姿勢が、今日の城取設計の基盤を作ったともいえます。これからも、今までの会社スタイルを崩すことなく、経験と実績をもって、技術革新の向上を目指していきたいと思います。
技術革新への取り組み
現在、インターネットや各種メディアの情報提供に伴い、設備機器や住宅スタイルなどかつて携わるものしか分からない幅広い分野まで、お客様自ら学習し豊富な知識をもっています。
このような時代背景から、私たちも常に技術改革を念頭におき、斬新さや時代の流れを読み取り、現代のニーズに合わせた設計を目指していきます。創業から今日まで、お客様の生活スタイルを見続け、実績を積みあげてきた会社だからこそ、5年先、10年先を見据えた設計に取り組むことができると確信しております。
先代は常に情報の収集に尽力を費やし、技術革新という信念を貫いた方です。技術向上のためには職人にも惜しみなく学ばせ、また自らの技術を伝授し、先代が先駆者となり会社を技術革新へと導いていきました。こういった、「職人を大事にする」という姿勢が、今日の城取設計の基盤を作ったともいえます。これからも、今までの会社スタイルを崩すことなく、経験と実績をもって、技術革新の向上を目指していきたいと思います。